升田幸三の名言を大特集!数々の伝説エピソードと一緒に見てみよう
升田幸三(1918年〈大正7年〉3月21日 – 1991年〈平成3年〉4月5日)は高名な将棋棋士です。実力制第四代名人。棋士番号18です。
木見金治郎の弟子であり、木村義雄十四世名人・塚田正夫実力制第二代名人・大山康晴十五世名人と死闘を演じ、木村十四世名人引退後は大山十五世名人と戦後の将棋界で覇を競いました。
数々の新手を編み出し、数奇なエピソードも相まって人気がありました。
生涯成績は、544勝376敗(勝率:0.591) です。タイトル戦は、登場回数合計23、獲得合計7期ですが、当時のタイトルは3つしかない時代でしたので、素晴らしい記録だと思います。
升田幸三は、数々の名言を残していますので、それをこれから見ていきましょう。
升田幸三の名言
紹介する名言のは次の九つです。
升田幸三の名言は膨大な数があるんですが、60爺の印象に残ったものを集めました。
名人に香車を引く |
心を集中する |
将棋の勉強には、まず自分の指した将棋を入念に調べることだと思う |
サッカクイケナイ、ヨクミルヨロシ |
ゴミ・ハエ問答 |
三手で投げてしまう |
のぼせちゃいかん |
GHQへの掛け合い |
将棋はまだまだ進歩する |
トップの「人に香車を引く」は升田幸三の強さを示すものです。2番目の「心を集中する」は、升田幸三の天賦の才を表わしています。
その他、高野山の決戦で見落としの際に叫んだ悲痛な「サッカクイケナイ、ヨクミルヨロシ」、木村義雄名人とのゴミ・ハエ問答なども載せました。
陣屋事件での「三手で投げてしまう」では、昔はこんなこともあったのかという驚きの事件です。根底には、升田の毎日新聞に対する複雑な心境もあったらしいのですが…。
GHQへの掛け合いは、アメリカ相手に升田の弁舌がさえわたるというか、最後に「貴君はよくしゃべる。珍しい日本人である」と言われて、みやげにウイスキーを持っていけと係官に言われたそうです。
升田幸三は、やっていることは時に滅茶苦茶だったようですが、将棋は抜群に強く、面白い人柄だったようです。以下堪能してください。
升田幸三はA級でも数々の記録を残しています。詳細は、こちらをご覧ください。
名人に香車を引く
棋士になるため相談したものの反対されたため家出を決行しました。その際、母親の竹の物差しの裏に次の書置きを残したそうです。
この幸三、名人に香車を引いて勝ったら大阪に行く
文面がおかしいですが、当時の幸三は「将棋名人」は日本で唯一人の意味を解せず、武芸のように各地に名人、達人がいると理解し、広島の名人を破ってから大阪にに行くと言ったようです。
後年、王将戦で木村義雄十四世名人、大山康晴名人に香落ち戦を実現し、前者は陣屋事件により不戦敗となりましたが、後者には見事に勝ち名乗りを受けました。
心を集中する
内弟子時代、豆腐を買いに行き、凍った道路で転倒し師匠夫人に厳しく叱られたことがありました。
この時、幸三は悟ったそうです。「豆腐を買いに行きながら、別のことを考えていた。その目的だけに集中するせにゃいかん」!
その時以来、升田幸三の持ち前の集中力が発揮され始めたそうです。升田幸三は、こう言っています。
「面白いもんで、心を集中する習慣が身に付くと、いっぺんに二つの仕事ができるようになる」
一流になる人間は、出来が凡人と違うんですね。
将棋の勉強には、まず自分の指した将棋を入念に調べることだと思う
八段に昇って書き下ろした「升田将棋」の中で述べた言葉です。
自分が、初段、二段・・の当時、どういう心境で指していたか、段位によって心境や棋風がどう変わったか調べるそうです。
そして、「今までのやり方を調べて、自分の良いところはあくまで助長させる、進展させる。悪いところは惜しみなく捨て去ってしまう」
升田が駒を並べてよく見たのは「幕末の棋聖」天野宗歩の棋譜でした。序盤が優れ、中盤以後の読みに狂いがないとの理由です。
升田の好きな棋士は、七世名人、三代伊藤宗看で、真っ向から青田家をぶち割るような豪放な指し口を好んでいました。
サッカクイケナイ、ヨクミルヨロシ
高野山の決戦(塚田名人への挑戦者を決める三番勝負)、相手は弟弟子の大山康晴七段です。第一局大山勝ち、第二局升田勝ちで迎えた第三局の終盤で、升田玉痛恨のトン死!
升田は叫んだ言葉「錯覚いけない、桂打ちよく見るよろし」悲壮なうめき
大道の中国人手品師のセリフを借りておどけたそうですが、悲壮感が漂っていたそうです。
但し、局後の検討は熱心で、朝の五時まで続いたとういうことです。
ゴミ・ハエ問答
第二回全日本選手権の決勝リーグ、木村義雄名人との対局で豆腐の木綿ごし(木村)、絹ごし(升田)の論争が起きました。
「田舎者の言うことだ」と決めつけられた升田八段が、「将棋は名人でも、その道の専門家家からみりゃ、木村名人の知識なんかゴミみたいなもんだ」と言いました。
「名人がゴミなら君は何だ」と木村名人。
「さあね。ゴミにたかる蠅ですか」と升田が一同の笑いを取ったが、木村名人が痛烈な一言を言って席を立ちましたた。
「君も偉そうなことばかり言ってないで一度くらい、名人挑戦者になったらどうかね」
三手で投げてしまう
升田が木村名人を三連勝で4勝1敗とし「名人を半香落ちに指し込んだ」王将戦第六局で「陣屋事件」が起きました。
升田が対局場「鶴巻温泉の陣屋旅館」に着き、ベルを押したがベルが故障していて鳴らず30分近く放って置かれたため、激怒し対局拒否を宣言した事件です。
この当時の升田は、腹を立てたらもう誰の言うことも聞かないヤンチャ小僧だったそうです。
大先輩の土居八段の説得も効かず、将棋連盟理事の丸田八段、毎日新聞の村松記者が頼み込んでも「ウン」と言いません。
翌朝、再度頼み込む丸田八段、村松記者に「対局場を変えるか、だめなら一日延ばせ」との条件を出しますが認められる訳がありません。そこで、言った言葉が次のものでした。
無理に指せというなら、指さんことはないが、三手で投げてしまう
この後、将棋界は升田の処置でおおもめだったそうです。
のぼせちゃいかん
私は将棋は創作だと考えている。何はともあれ、一歩先に出た方が勝つ。もし一局ごとに新手を出す棋士があれば、彼は不敗の名人になれる。その差はたとえ1秒の何分の一でもいい。専門家というものは、日夜新しい手段を発見するまでに苦しまねばならぬ。
当時の全タイトルである三冠独占時に升田が言った言葉です。
少年の日の夢がかなった升田ですが、一歩でも多く、将棋という「道」を歩き続ける升田幸三の自戒の言葉が表題である「のぼせちゃいかん」なのです。
GHQへの掛け合い
昭和22年の夏、升田八段は日比谷にあったGHQ(連合軍総司令部)に呼び出され、アメリカ軍の係官による将棋に関する事情聴取を受けました。
GHQは「将棋はチェスと違って、取った駒を自軍の兵隊として使用する。これは捕虜の虐待で国際条約違反で、日本軍の捕虜虐殺に繋がる思想だ」というのです。いわゆる難癖ですね。ここには、チェスの普及を図りたい意図もあったのでしょう。
升田は敢然と反論します。「チェスで取った駒を使わんのこそ捕虜の虐待だろう」から始め、「将棋は、敵の駒を殺さない。常に全部の駒が生きている」と続け、「これは人の能力を尊重し、それぞれに働き場所を与えようという正しい思想だ」の断言しました。
面白いのは、言葉尻を取られぬためゆっくり話そうと考えたそうですが、「酒を少し飲ませろ」と言ったそうです。
そう言われたアメリカ人も、缶ビールを出して来たというんですから感心しますよね。
升田は、この後も、通訳が英訳に困るほど煙に巻いたそうです。その結果、将棋は存続を認められ、将棋界は現在の隆盛を迎えています。
余談ですが、この縁から昭和24年の「日本将棋とチェス大手合」(アサヒグラフ企画)が開催され、升田が参加して将棋(四枚落ち)とチェスでいずれも勝っています。
また、1992年の年鑑に「1991年に死去した世界の一人」に升田の略歴が載りました。将棋、囲碁を通じて初めて選ばれた棋士です。
将棋はまだまだ進歩する
これは、ある座談会で言った話です。「将棋はまだまだ技術的に進歩する。それは人の問題だ。」と語り始めました。
「昔は、徳川家が庇護していたから人材が集まった。」と続け、「幕府がなくなってスポンサーのなくなった明治、大正期に、頭の悪い、親不孝みたいな連中ばっかりが将棋指になっちゃった。」と将棋界のブランクを指摘します。
そして、「新聞将棋が発達して以後、頭の言い、将棋以外でも一流に慣れそうな人材が将棋界に入ってくるようになった。昔は原稿書けない、話はできない、あいさつもろくにできんようなのばっかりだったがこのごろはそうでもない。」と話します。
最後に、「何やらしても一流になれそうな能力者が集まってくると、将棋はまだまだ進歩する。彼らはあらゆる手を記憶してしまうだろう。」と締めました。
この話、「三人の兄たちは頭が悪いから東大に行った。 私は頭が良いから将棋の棋士になった」の米長邦雄永世棋聖の話にも通ずるところがあります。
升田幸三賞
将棋大賞(しょうぎたいしょう)は、毎年度功績を残した将棋棋士などに日本将棋連盟から与えられる賞です。第1回の表彰は1974年に行われました。
将棋大賞の第22回で創設された「升田幸三賞、升田特別賞」は、新手・新構想を初披露または一流の戦術に昇華させ、定跡の進歩に貢献した者に与えられます。
「新手一生」を掲げて数々のイノベーションを起こした升田幸三 実力制第四代名人を讃えてその名が付けられました。
受賞者は当然プロが多いのですが、プロとは限られておりません。異色の受賞者を下記に記載します。
回 | 賞 | 受賞者 | 受賞対象 |
---|---|---|---|
第31回 | 升田賞特別賞 | 立石勝己(アマチュア) | 立石流四間飛車 |
第35回 | 升田幸三賞 | 今泉健司(奨励会三段) | 2手目△3二飛 |
第38回 | 升田幸三賞 | 星野良生(奨励会三段) | 対ゴキゲン中飛車 「超速▲3七銀」戦法 |
第47回 | 升田幸三賞 | elmo(コンピュータ将棋ソフト) | elmo囲い |
アマチュアや奨励会三段時の今泉健司、星野良生が選ばれています。それだけでなく、コンピュータ将棋ソフトの elmo まで入っているのは驚きではありませんか?
最後に
升田幸三の名言を60爺なりにまとめてみました。60爺は、「サッカクイケナイ、ヨクミルヨロシ」や「ゴミ・ハエ問答」及び「GHQへの掛け合い」での問答などの名言らしからぬ名言が好きです。
この時代のタイトル戦の描写に、「対局中タバコをしきりに吸っている、人いきれとたばこの煙で部屋の中がむせ返るようであったという描写、時代を感じる」などと書いてあり、現在とは違い、たばこが全く規制されていない時代を思い出し、「昔はそうだったな」と懐かしくなりました。
もう一つエピソードを。升田夫人静尾さんは、初対面の時、電気に打たれたように一目ぼれし、柱につかまって辛うじて身を支えていたようです。升田幸三は、良い婦人、良いか手に恵まれた幸せな人でした。
升田幸三は、容貌魁偉で話す言葉も面白く、現在の藤井聡太竜王(2022/8/7現在)のように人気があった棋士でした。
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参考
升田幸三物語 東 公平
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