加藤一二三(ひふみん)のすごさ!蓄積された数々の大記録を見よ!
今回は、「ひふみん」加藤一二三九段の記録をたどります。
さすがに、「ひふみん」が棋士だったことを知らない方はいなくなったと思いますが、現役時代の記録をご存知の方は少ないのではと思います。
実は、「ひふみん」物凄い棋士だったんですよ!
「ひふみん」しか持っていない記録がたくさんあるんです。その中には、現在、旬の藤井聡太竜王(五冠)さえ破れなかった記録もあります。
それらを、ご一緒に見ていきましょう!
数々の大記録を見よ
まずは、「ひふみん」の持っている数々の大記録を一覧にしました。
史上最年少プロ棋士 |
最年少勝利、最年少敗北 |
最年少A級昇級 |
タイトル戦最年少記録 |
A級在位記録 |
最も年齢が離れた対局 |
3世紀に渡る棋士との対局 |
最高齢勝利記録 |
最年長対局、最年長敗北、最長棋士歴 |
史上最多対局数 |
史上最多敗北数 |
全ての実力制名人と対戦 |
加藤一二三九段の持つ 12 の記録を取りだしました。いずれもトップかそれに相当する位置にある記録です。
最初から4つは最年少記録です。5番目以降は長い現役生活で培った大記録です。
ひとつずつ解説していきます。
史上最年少プロ棋士
「ひふみん」は、1954年 14歳7ヶ月でプロ入りしました。
この大記録は、2016年に藤井聡太四段が 14歳2ヶ月でデビューするまで、実に62年間に渡り守られていました。
破られたとはいえ、未だ堂々の第二位です。
№ | 棋士名 | 四段昇段年月日 | 達成時年齢 |
---|---|---|---|
1 | 藤井聡太七段 | 2016年10月1日 | 14歳02ヵ月 |
2 | 加藤一二三九段 | 1954年8月1日 | 14歳07ヵ月 |
3 | 谷川浩司九段 | 1976年12月20日 | 14歳08ヵ月 |
4 | 羽生善治九段 | 1985年12月18日 | 15歳02ヵ月 |
5 | 渡辺明三冠 | 2000年4月1日 | 15歳11ヵ月 |
谷川浩司第十七世名人、羽生善治九段、渡辺明名人さえも破れなかったのです。
最年少勝利、最年少敗北
「ひふみん」は、1954年 14歳8ヶ月で公式戦初勝利を挙げました。
この大記録も、上記と同様、藤井聡太四段が 14歳5か月で初勝利を挙げるまで、62年間に渡り守られていた記録でした。
藤井聡太四段が勝った対局相手の棋士が「ひふみん」加藤一二三九段だったのも、何かのめぐりあわせでしょう。
この記録でも、「ひふみん」堂々の第二位です。
同じく、1954 14歳11ヶ月で公式戦初敗北を喫しました。
この大記録?は、藤井聡太四段が 29連勝したため、奇しくも、堂々の第一位を保っています。
最年少A級昇級
1958年4月1日付で18歳3か月でA級に昇格し、最年少A級昇級の記録を打ち立てました。
この記録は、上述したように、藤井聡太竜王(五冠)さえ破れなかった記録のひとつ(藤井聡太は19歳7カ月で2位)です。
この記録により、「ひふみん」加藤一二三さんは、神武以来(じんむこのかた)の天才と称されました。もっとも、本人は、この呼ばれ方を気にいらなかったそうです。
なんせ、C級2組(11勝1敗)から、C級1組(10勝3敗)、B級2組(9勝2敗)、B級1組(10勝2敗)とA級までノンストップで駆け上がったのです。C2からA級到達まで全て1期抜けを達成。これも、あの藤井聡太竜王が実現できなかった記録なんです!
※現行制度では他に中原誠のみ
タイトル戦最年少記録
A級2年目の第14期(1960年度)順位戦で6勝2敗の成績を挙げ、名人挑戦権を得ました。20歳3か月の挑戦は、他棋戦のタイトル初挑戦も含め、当時の最年少記録でした。
但し、この時の第19期名人戦七番勝負は1勝4敗で大山康晴名人に敗れてしまいました。
2022年9月6日現在においても名人挑戦は最年少記録を維持しています。今期のA級順位戦で、藤井竜王が挑戦権を獲れば、この記録を破ることになりますが、‥‥。
なお、20歳3か月の挑戦を上回る記録は次の4つしかありません。
- 17歳10ヶ月20日 藤井聡太(棋聖戦)
- 17歳10ヶ月24日 屋敷伸之(棋聖戦)
- 19歳0ヶ月22日 羽生善治(竜王戦)
- 19歳4ヶ月10日 渡辺明(竜王戦)
A級在位記録
36期で、大山十五世名人の 44期に次ぐ第二位の記録を持っています(次の記事の「A級在位ランキング」参照)。
第三位が 32期の谷川十七世名人、第四位が 31期の升田幸三実力制第四代名人と続きます。
現役では、羽生善治九段が 29期で追いついてくる可能性はありますが、凄まじい記録だと思います。
「A級を5度陥落して5度昇格した」人なので、諦めを知らない棋士だったのでしょう。
最も年齢が離れた対局
2016年12月24日の竜王戦6組1回戦で、加藤九段は史上最年少14歳2ヶ月の藤井聡太四段と対局しました。
76歳の加藤との年齢差、実に62歳6か月差!年長棋士側から見て、これは最多年齢差の対局でした。
この対局の勝利者は藤井聡太四段で、あの29連勝の1勝目でした!
3世紀に渡る棋士との対局
上記、「最年少勝利、最年少敗北」「最も年齢が離れた対局」で、当時の藤井四段と対局したことを述べましたが、藤井四段は「初の21世紀生まれプロ棋士(2002年生まれ)」でした。
加藤九段は、19世紀(村上真一と野村慶虎の2名)の棋士とも対局しており、19世紀、20世紀、21世紀の3つの世紀に生まれた棋士と公式戦で対局した記録を達成しました。
2014年の時点で19世紀生まれの棋士との対局経験がある現役棋士は加藤のみでしたので、この記録は今後も加藤が唯一のものとなります。
最高齢勝利記録
引退が決定した翌日の1月20日の第88期棋聖戦二次予選で、加藤九段は飯島栄治八段と対局しました。
この時点の飯島は、順位戦B級1組・竜王戦2組の強豪棋士でしたが、加藤九段は、77歳0ヶ月で現役最後となる勝ち星を挙げました。
この勝利によって、丸田祐三が持っていた最年長勝利記録(76歳11か月)を更新しました。
この対局について飯島はTwitterで「今日の加藤一二三九段戦は完敗でした。」と述べ、形勢不明の場面で出た加藤の妙手について記しています。
今日の加藤一二三九段戦は完敗でした。私の得意の戦型で途中までは形勢不明だと思ったんですが、加藤先生の8四角から局面が一変しました。全く読みになく、64手目75馬の局面はもうダメのようです。48手目、88歩に22歩と打つしかなく、これでも自信がないですが、こうやるしかなかったです。
— 飯島栄治 (@eijijima) January 20, 2017
最年長対局、最年長敗北、最長棋士歴
加藤九段の現役最後の対局は、2017年6月20日の第30期竜王戦6組昇級者決定戦で対高野智史戦でした。
この対局で敗北し、最年長対局、最年長敗北(ともに77歳6か月)、棋士歴(62年10か月)を更新するとともに引退が決定しました。
史上最多対局数(2022年05月10日時点)
ベスト5を一覧にしました。
№ | 棋士名 | 対局数 |
---|---|---|
1 | 加藤一二三 | 2507 |
2 | 谷川浩司 | 2267 |
3 | 羽生善治 | 2154 |
4 | 内藤國雄 | 2132 |
5 | 大山康晴★ | 2114 |
ダントツの 2,507局です。二位が谷川十七世名人の 2,267局(240差)、三位の羽生善治九段が 2,154局(353差)です。
微妙な差ですね。
谷川十七世名人が年間20局で12年で追いつく計算です。羽生九段は、同じく年鑑20局で18年かかりますが、将来逆転する可能性は無きにしも非ずです。
史上最多敗北数(2022年05月10日時点)
こちらも、ベスト5を一覧にしました。
№ | 棋士名 | 敗北数 |
---|---|---|
1 | 加藤一二三 | 1180 |
2 | 有吉道夫 | 1002 |
3 | 内藤國雄 | 1001 |
4 | 桐山清澄 | 958 |
5 | 谷川浩司 | 900 |
こちらもダントツの 1,180敗です。こちらは、引退棋士が多いのでトップは固そうです^^;
谷川十七世名人が 900敗で五位ですが、280敗するのに、どれだけかかるかですね。勝率5割で計算すると、年間10敗で28年かかる計算です。
ちょっと追いつくのは無理っぽい感じですな。
全ての実力制名人と対戦
将棋界の名人は江戸時代から続く制度です。以前は家元制(世襲制)や推挙制で、名人が実力ナンバーワンだったわけではありませんでした。
しかし、1935年から完全実力主義、一番強い者が名人になれる制度に改まりました。それが、現在まで続く名人戦です。
この実力制の名人になれたのは、加藤九段が現役の際、わずか13人しかいませんでした(その後、豊島将之九段、現渡辺名人が誕生)。
実力制第一代名人 | 木村義雄(十四世名人) |
実力制第二代名人 | 塚田正夫(称号としての実力制第二代名人) |
実力制第三代名人 | 大山康晴(十五世名人) |
実力制第四代名人 | 升田幸三(称号としての実力制第四代名人) |
実力制第五代名人 | 中原誠(十六世名人) |
実力制第六代名人 | 加藤一二三 |
実力制第七代名人 | 谷川浩司(十七世名人) |
実力制第八代名人 | 米長邦雄 |
実力制第九代名人 | 羽生善治(十九世名人資格者) |
実力制第十代名人 | 佐藤康光 |
実力制第十一代名人 | 丸山忠久 |
実力制第十二代名人 | 森内俊之(十八世名人資格者) |
実力制第十三代名人 | 佐藤天彦 |
加藤九段はなんと、自身を除く全ての名人経験者との対局経験があるのです。2017年2月、当時の佐藤天彦名人との対局が実現したことで、この記録が生まれました!
プロの将棋界はトーナメントで決着をつけるので、シードされることが多い名人と対局が実現するだけでも大変なことです。
数々の逸話
ここまで、加藤一二三九段の大記録を見てきました。物凄い棋士だったことを認識できたでしょうか?
さて、加藤九段と言えば、記録の他にも数々の逸話を残しています。こんどは、そちらをご覧ください。
健啖家
加藤九段の健啖家としての逸話は山ほどあります。そのいくつかを紹介します。
・対局中に食事で迷うことを避けるため、昼食と夕食は同じメニューとしていた。
引用 wiki 加藤一二三
・東京・将棋会館での対局では、必ず鰻重を頼むことで知られていた。
・2016年のコメントで、関西将棋会館での対局については鰻のメニューがないため、鍋焼きうどんとおにぎりを6つを頼むのをずっと続けていると述べている。
・1981年の米長との十段戦において、互いに張り合って山盛りのミカンを注文し、2時間以上に渡って互いに食べ続けた。
無人島
加藤九段と羽生九段、同じ質問に、全く同じ回答をしています。
【羽生九段】
「無人島でたった二人で過すとしたら、相手に誰を選ぶか?」の設問だろう。
「加藤一二三先生でしょうか。毎日、棒銀でこられて無人島にいる事も、時間の観念も無くなってしましそう」と羽生さんは答えている。
『別冊宝島1191 将棋「次の一手」読本』 宝島社 2005年9月9日発行 p.63
引用 加藤一二三九段と羽生善治二冠。その1
【加藤九段】
無人島になにか一つ持って行けるとしたら-? 将棋の加藤一二三(ひふみ)さんは答えたという。「羽生善治を連れて行きたい」。本紙の対談企画で内藤國雄さんが話されていた逸話である
引用 正平調
奥様
対局の前日には必ず勝負飯のステーキを焼き、最終対局を終えた後には、「お疲れ様」と新しいネクタイをプレゼントしてくれたという奥様。
天才棋士加藤一二三挑み続ける人生 日本実業出版社
「『改めて同じ人と結婚したいですか?』と聞かれたら迷わず『はい。します』と答えます」とひふみん。深い愛情で結ばれた、理想の夫婦であることが窺い知れます。
14歳でプロ棋士となり、授業に出られないほど多忙を極めた加藤九段に、健気にノートを届け続けてくれた女の子が、長年寄り添ってきた奥様だということです。
ひふみんアイ
相手側から将棋盤を見ることで新しい手を発見できるとして、加藤九段が対局中にしばしば行った仕草
昭和54年の対中原五冠戦で、相手が席を外した際に、たまたま相手側に立って盤面を見たら、思いがけない必勝の一手が浮かんだことから始めたということです。
加藤九段は、その後も、しばしば、この「ひふみんアイ」を使用してきました。
本件は、藤井五段がこの「ひふみんアイ」をした際に、神崎八段がツイートで「マナー違反」との指摘を行い、批判が相次いだことで、このツイートは鍵付き(非公開)になっているそうです。
藤井聡太五段の行動に神崎健二八段が苦言 ツイッターに批判殺到
加藤一二三の棋風の特徴
棒銀の採用率が以上に高く”加藤棒銀”と呼ばれるほどです。棋風は「棒銀狂」とも言われます。
棒銀を代表として良いと思った戦型はひたすら採用し続ける傾向がありました。
たとえば、四間飛車への対抗策として居飛車穴熊が一般的に採用されていた時期でも、変わらず棒銀で挑み続けていました。角換わりの将棋においても、腰掛け銀を採用する棋士が多い中、あえて、棒銀を採用する傾向にあったそうです。
自身が対局に負けた際、「棒銀が弱いんじゃない、自分が弱いんです。」と発言した事もありました。
解説中、対局している棋士が別の戦法を取ると、ひたすら棒銀をプッシュする事がありました。
・何で棒銀にしないんでしょうか
・いや、ここは棒銀ですよ
・あれれ、棒銀にすればいいのにしかし、実際に加藤がこう発言する時は、大抵棒銀が有効なケースであったそうです。
ニコニコ大百科 加藤一二三
最後に
加藤一二三九段(ひふみん)の「すごさ」を記録の面、逸話、棋風の面から見てきました。
数々の大記録を打ち立て、現在は「ひふみん」としてテレビに出演したり大忙しです。
ひょうきんな面しかご存知ない方には、数々の記録を少しは記憶していただき、蘊蓄のお役に立てればいいかなと思います。
■気づけば「将棋」の記事も増えてきました
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