八咫烏の大きさはどの位?この表記から読み取れるそのサイズとは
日本神話や歴史の中で、しばしば重要な役割を果たす「八咫烏(やたがらす)」をご存じでしょうか?
古事記や日本書紀に登場し、特に神武天皇が道案内をされた伝説が有名ですが、この神聖な三本足の烏について、名前の由来やその意味を詳しく考えたことはありますか。
「八咫(やた)」という言葉が示すのは、実はその大きさに深く関わる要素です。
しかし、この表記から具体的なサイズをどれくらい想像すればよいのでしょうか?
また、「咫」という単位が一体どのような基準で計られるのかも気になるところです。
本記事では、「八咫烏」という名前が暗示するそのサイズ感を紐解きながら、神話や歴史の背景にも触れていきます。
読めばきっと、八咫烏がより身近に、そしてより神秘的に感じられることでしょう!
八咫烏の大きさはどの位?
冒頭でも述べた通り、「八咫烏(やたがらす)」は日本神話や歴史の中で、しばしば重要な役割を果たしています。
さて、この八咫烏、かなり大きな鳥だったように描写されていますが、果たしてどれほどのサイズだったのでしょうか?
実は、この「八咫」という言葉に、その大きさのヒントがあったんです。
「咫(あた)」というのは数え方の一つなんですよ。
「咫(あた)」は、人間の親指と人差し指を広げた長さを表します。
人によって手の大きさが違うので、一概に何センチであるとは言えませんが、昔は「ものの大きさの目安」を表すのに使われていたようです。
60爺の場合、「親指と人差し指を広げた長さ」が、以下の通り、約15cmですから、「八咫」=8×15=120cm=1.2mになるんですね。
日本にはカラスが7種いるようですが、最小のコクマルガラスが30cm~で、最大のワタリガラスが~65cmと出ていますので、1.2mというと、「八咫烏」は、かなり大きなカラスだったんでしょう。
実は、「八咫」とは「大きい」という意味であり、8倍してみたのは大きさを実感するモノだったのです^^;
また、余り、語られませんが、出羽三山を開いた第32代崇峻天皇の皇子・蜂子皇子についても、八咫烏が登場します。
その乙女に促され3本足の八咫烏(やたがらす)に導かれて、老樹が鬱蒼と茂った羽黒の阿久谷(あこや)に辿り着いて修行した後、出羽三山を開山したといわれる。
羽黒山|羽黒町観光協会
上記の通り、羽黒町観光協会のサイトに、蜂子皇子は「八咫烏(やたがらす)」に導かれて、老樹が鬱蒼と茂った羽黒の阿久谷(あこや)に辿り着いて修行した後、出羽三山を開山したと書いてあります。
そして、出羽三山神社が監修している上陸の地「由良」の看板の中に、八咫烏の大きさが載っていました。
なんと2メートル40センチと出ています。
こうなると、ちょっとした怪獣クラスではないでしょうか?
出羽三山に関する記事を書いています。
八咫烏とは
八咫烏は、日本神話(古事記、日本書紀)で、神武天皇を大和の橿原まで案内したとされており、導きの神として信仰されています。
神武天皇は、当初、西から大阪に攻め入って敗れます。
ここで、神武天皇は、太陽神である天照大神の末裔であるので、東から西へ日を背にして攻め入るべきだと考えました。
ここで、八咫烏が登場し、その案内により、紀伊半島を迂回して現在の新宮付近から攻めあがり、吉野を経由して橿原に行き、大和朝廷を開いたのです。
勝手な想像ですが、吉野の地理に詳しい何者かがいて、道案内を務めたと考えて良さそうです。
実際、八咫烏は高皇産霊尊(タカミムスビ)の曾孫である賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の化身であったという記録が「新撰姓氏録」に載っています。
また、建角身命は大和国葛城から山城国岡田賀茂を経て洛北の賀茂御祖神社(下鴨神社)に鎮まったと『山城国風土記』逸文にあり、下加茂神社では、本殿の左に賀茂建角身命が祀られ「賀茂御祖神社」と呼ばれています。
八咫烏は、その後の戦国時代、紀伊国の雑賀衆を治めた鈴木家の家紋・旗になっています。
Mekugi, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
八咫烏は三本足か
Yanajin33, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
上の写真は、熊野本宮大社にある八咫烏の像ですが、八咫烏は、一般的に三本足の姿で知られ、古くよりその姿絵が伝わっています。
また、サッカー日本代表チーム(男女とも)のエンブレムにも、その姿が描かれていることは有名だと思います。
ただし、『古事記』・『日本書紀』には八咫烏が三本足であるとは記述されていません。
八咫烏が三本足であることの意味については、次のように複数の説があります。
- 八咫烏の三本の足は、それぞれ天(天神地祇)・地(自然環境)・人を表し、神と自然と人が、同じ太陽から生まれた兄弟であることを示す(熊野本宮大社)
- かつて熊野地方に勢力をもった熊野三党(榎本氏、宇井氏、藤白鈴木氏)の威を表す
- 古来より太陽を表す数が三とされてきたことに由来する⇒(宇佐神宮など)神紋が三つ巴であることと同じ意味を持っているとする説
- 元々日本神話にあった「神の使いとしての鳥」の信仰と中国の「太陽の霊鳥」(三本足)が融合した
現在では、どれが正しいのかはっきりしないのが実情です。
最後に
八咫烏の大きさについて見てきました。
「八咫烏」の中にある「咫」は「当た」と読み、ものを数える語だったんですね。その大きさは、親指から人差し指までの長さだったんです。
「八咫」なので8倍すると、60爺の「咫」は15cmだったので、「八咫烏」は1.2mと換算され、そこそこ大きいなと思っていたら、「八咫」自体が大きいという意味を持っていたとは拍子抜けでした。
しかし、出羽三山の伝説にある「八咫烏」は2.4mもの巨体と出ていたのはビックリでしたね。
※雑談の部屋は物凄い大所帯です
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